占いが分からなくて

はじめまして。合資会社MJ12の中の人です。
弊社では現在、『アラジンの魔法のランプ』という占いポータルサイトを運営しています。
このコンテンツは本来有限会社エクラが90年代に始めたサイトで、弊社はそれを94年に譲渡され、これまで継続してまいりました。
とはいうものの、他のサービスを譲渡された際に、同じサーバにあったため、いっしょに受け継いだというだけで、私は占いに詳しいわけでも興味あるわけでも全くありませんでした。
そのため、発展の余地もなく、サーバの保守管理などをするだけで塩漬けでした。
エクラ様からは潰すなりもう好きにしてくれていいですよと言われておりますので、メンテが面倒なら閉じればいいはなしなのですが、惰性で継続しております。

このサイトは各種占いCGIのあるサイトで、当時の状況で言えばなかなか希少な存在だったかもしれません。
しかし今となってはFlashだなんだと派手な占いブログパーツだのがいっぱいあるでしょう。
タロット占いひとつとってもモノクロのドット絵と、カラーで綺麗な画像のFlash占いとでは太刀打ちできません。存在意義をほぼ失っているというのが私の見解です。
(とは言え、占いとは当たるか当たらないかのみが問題であって、ビジュアルが映えずとも当たるならそれはそれでいいはずであり。当サイトの占いに関しては当時プロの占い師の監修を受けて作ったというように聞いております)

コストかけて受け継いだコンテンツをリファインする手もあったのですが、もはやその手の先行しているFlash屋さんと競り合うメリットは無いと思います。企業論理で言えば赤字膨らむだけです!
というわけでずるずる放置し続けていました。
私が占い好きとかならともかく、全く占いとか興味無いのです。運命は自分で切り開くものであって、人がどうこう言っても知らない。信じない。
私は私を信じるし、私の足で進みたい。占いむしろ嫌いくらいの勢い。
これではモチベーション上がらないですし、 利益にもならないことに労力かけるわけがありません。
常々、占いコンテンツどうしよう…と悩んでました。改造のために占い勉強しなきゃいけないのか?しかし全く興味無い…みたいな。
ですが、昨年、生駒麓の石切駅前の占い商店街の凄まじさを見て、おもしろみを感じだしました。
そういえば私、仏教美術とか民俗学的なもの非常に好きでして、博物趣味の一環としてだと占いの世界はいろいろなものがあって楽しいじゃないか!と。
江戸期の御利益画や御符やなんやの図像なんかはわりとおもしろがって博物館で見てるほうですから、無理に占いにハマろうとして悩まずとも、自分なりの民俗学的視点からのアプローチで占いと付き合ってもいいのではないかと。

相変わらずまったく持って罰当たりで信心深く無い人間なのですが、戯れとしての占術は、豊かな文化ではないかと評価しています。
日本古来から民衆の手で季節季節で占いが行われていたわけです。卑弥呼もやっていたわけです。
占いにハマって進路を誤るようなのはどうかしていますが、ちょっとした心を豊かにする存在として占いはあっていいと思うのです。例えば各地の豊作を願う祭りは?神輿は?あんなものは迷信じゃないですか。しかしそれは豊かな文化です。べつにそれで必ず絶対に豊作にならなくてもいいではないですか。そういうのが許容できないというのも貧しいと思います。当たるも八卦です。

そんなわけで、私の占いに対するスタンスを表明してみました。
サイトを利用されたり、協力いただいているプロの占い師のかたとはかなり立場が違うかと思いますが、そういう立場を活かして、特定の占いにハマらず、横断的に占いという文化を学んでいこうと思いました。
とりあえずこのBlogでは蔵書から占いとか民間信仰関係の話題を取り上げたり、生駒探索レポートを載せたり、そういうことをときどきしていこうかと思っています。

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